次の日の朝、男と少女は朝食を摂った後、家に一番近い町へと足を伸ばしていた。
町から外れた草原にある家から歩いて三十分程度の為に、男は週一の買い出し以外の理由で行くことはなかった。
だが、これも治療の一環だからと少女に言われ久しぶりに買い出し以外の理由で訪れている。

「へー、石造りの建物と石畳。いい街じゃない? 人の活気もあるし。何で町に住んでないの?」
「理由があってね」

こそこそと二人は会話する。
男は決して少女の方を見ずに商店街を歩き続け、少女は男の横顔を見上げている。
何故ならば、少女の姿は他の人には見えない。
この状態で男が横を向いて受け答えをすれば周囲の人に病院に担ぎ込まれるだろう。

「……やっぱり不便だね。こういうとき聞いていい話かどうか判断できないもん」

そう言って少女は駆けだし、果物屋の前で男に手を振る。
先の言葉を言った時のような詰まらなげな表情ではなく、笑顔をその顔に浮かべて男をせかすように手を振り続ける。
男が果物屋の前に着くと少女はいくつかの果物を指さす。
その行動の意図を察し、男は僅かに頷く。

「こんにちは」
「おや……珍しい顔だねぇ? 今日は買い出しの日じゃないんじゃないかい?」
「偶には散歩をしないといけないと、友人に言われたから」

無表情で会話を進める男。
果物屋の店主は見ていた雑誌から顔を上げ、嫌な顔をせずいたって普通に受け答えをする。

「はっはっは! そいつはそうだ! いい友達を持ったもんだねぇ! それで、何が欲しいんだい?」
「これとこれ、それとこれを三つずつお願いできるかな」
「はいよ! 珍しいことついでにおまけしといたよ、友達と一緒に食いな!」
「ありがとう」

少女が指さした果物が三つずつと店主がおまけした果物二つが入った紙袋を受け取る男。
男の細い腕には支えられないのではないかと少女は思ったが、それは杞憂に終わった。

「それでは、また」
「お、ちょっと待ってくれ!」

片手で紙袋を支えながら、男は店主に別れを告げる。
と、そこで店主が引きとめる。

「何か?」
「いやな、お前さん町はずれに住んでるから気をつけてもらおうと思ってな」
「……?」
「最近、野党の動きが活発になっているらしい。お前さんの住んでいる位置だと警備隊だってすぐに駆けつけられねえからな……」
「……ありがとう、気をつける」
「おう、引きとめて悪かったな!」

店主の言葉に頷いて、礼を述べてから踵を返す。
少女はそのあとをとてとてとついていく。
その姿を見る者が見れば年の離れた兄妹に見えたのだろうが、見れる人はいなかった。

「ありがと」
「別に、今の僕に礼ができるとしたらこの程度だろうし」

少女は笑い、男は笑わない。
結局二人はこの日、夕日が町を赤く染める頃合いになってから帰路についた。







「さて、髪を切りましょ」
「……なんで?」

ある日、行き成りの少女の言葉に男が振り返って言葉を返す。
男と少女は互いにテーブルを挟んで向かい合い、本を読んでいる。

「だって邪魔じゃない?」
「……不便じゃないと思うけどなぁ」

髪を左手でいじりながら、答える。
そして件の髪の毛は男の腰のあたりを末端にして男の小さな動きに合わせて揺れる。
前髪は目の下あたりまで伸びていて、男の視界を塞いでいる。

「見ている人が何か不審なものを見るような目で見ていても?」
「僕は困らないな」
「……私が困るの」

最近、リャナンシーは姿を見せて……もちろん目立つ羽は消しているが……男と共に町へ行っている。
姿を消したままだと男とコミュニケーションを取りにくく、当初の目的を満たしにくいということがある為だ。
だから、少女は言葉を続ける。

「私が隣を歩いているとね、目立っちゃうの。見た目は確かに普通の人間みたいだとは言え、怪しまれるのも困るよ」
「……そっか、なら切るかな」

そう言って男は本に栞を挟んで立ち上がると、食器棚の引き出しから紙を切る為の鋏を取り出して、自分の髪を掴むとそれを根元から切ろうとする。

「ちょっと待った!」

と、それを止めるのは少女。
手に持っていた本を慌てておいて、止まった男の手から鋏を奪い取る。

「何してるの!?」
「ん、だから髪を切ろうと」
「……今まで、感情を失う前はどうやってたの?」
「散髪屋にお願いしてたかな」

答える男に少女はため息を返す。
どうしてこの男は自分の想像の範疇を簡単に逸脱してしまうのかちょっと考えて、無駄なことだと首を振る。

「何でそうしないの……」
「今は収入がないから、そう贅沢もできないし」
「昔は働いてたの?」
「うん、一応ね」

そう言って男はリャナンシーの手から鋏を取り戻すと再び髪を切ろうとする。
その前に再び少女が男の手から鋏を奪う。

「何するのさ」
「だから、その切り方は危なっかしいの……私がやったげるから、椅子に座りなさい」
「できるの?」
「少なくとも鏡も見ずに切るよりはね」

と、少女は男に椅子を差し出し、座るように促す。
それに従い男は座り、少女は鋏を確りと握る。

「……散髪用の鋏……あるわけないか」

呟いて、目の前の白い髪を見る。
少女の足にまで届きそうなそれに鋏を入れつつ、顔の見えない男に話しかける。

「綺麗な髪……」

ぱさり、ぱさりと床に切られた髪が広がる。

「前はどんな髪型だったの?」
「短くしてたかな……職業柄、長い髪は邪魔にしかならなかったから」
「一体何の仕事をしていたの?」
「……兵士、唯の兵士だったよ」

ふと。
少女はその言葉に何か寂しさを感じた。
淡々とした口調、見えない顔は今でも無表情なのだろうということはわかる。
だけど、喜怒哀楽の哀を僅かだけれども感じることができた。

「そうだったんだ」

だから、敢えて聞かなかった。
確かに感情は動くだろう、だけれどそれは哀しみで。
少女が求めたのは喜び、楽しみ。
だからあえて聞かずにただ、手を動かし続ける。

「それじゃ、前も切るね」
「うん、お願い」

後ろの髪を肩程度まで切った少女は、男の真正面に立ってその顔を隠している前髪を摘む。

「本当、不便に見えるけど……ほら、目を瞑って」
「うん」

透けて見える髪の向こう側、目を確かに瞑ったのを確認してから鋏を入れる。
はらはらと髪は落ちていき、段々と男の顔が明らかになる。

「……そんな顔、してたんだ」

その顔は肌と同じく白。
下手をすれば病人にも見えてしまう顔はすっきりとした優男。

「終わった?」
「うん、終わったよ」

男が目を開ける。
薄い緑の瞳が、少女の瞳を見つめる。
だが彼の眼は鋭い為、見つめるというよりは射抜くという表現の方が適切なのかもしれない。

「うん、よく君の顔が見えるね。ありがとう」
「どういたしまして。……素人だから上手くはないと思うけど」

男の髪は後ろは肩までかかる程度の長さになり、前は眉が隠れる程度の長さ、ついでにと少女が髪を真ん中で分けるようにしたため男の顔は前と比べて断然見えるようになった。
この姿であれば、変な視線を注がれることもないだろう。

「さて、それじゃ片付けたら町へ行こう」
「どうして?」
「だって、他の人の反応も見たいじゃない?」

くすくすと、少女は椅子を片付けつつ男に向かって笑いかけた。







町を歩く男と少女。
今までは慣れない者からの奇異の目を浴びていた二人だった、が。

「逆に目立っちゃったかも」
「むう」

今では見慣れたはずの人からも視線を浴びている。

「へいらっしゃ……どちらさんで?」
「私と一緒に居るからわかるでしょー?」
「いや、そうだけどよう……。へぇ、そんな顔をしてたんか」

果物屋の店主も男の顔をまじまじと見つめる。

「中々に見れたもんじゃねえか、ぶ男だから隠していたと思ってたぜ?」
「隠してるつもりはなかったんだけど……」
「ははっ! そんなつもりはなくてもそう思えてしまうこともあるものさ! ほいこら珍しいもんが見れた礼だ、受けとんな」

店主は少女に赤い果物を二つ渡すと、豪快に笑って二人を見送る。
それを背に受けて、少女と男は並び歩く。

「どう? 視界が広がった感想は?」
「……日が眩しい」

果物を一つ男に手渡し、果物を齧りつつ少女は男に目をやる。
男は手を目の上に当てて、果物を右手で口にはこぶ。

「そっか、今まで日を遮ってたんだもんね」
「うん……」

眩しげに、町を眺め続ける男。
その視線は空から道を歩む人に向かう。

「……やっぱり、さ」
「ん?」
「人の笑顔を見ると嬉しいんだろう、ね」

男の言葉。
淡々としたそれは少女にはどこか男が寂しがっているように聞こえた。
だから、手を取る。

「どうしたの?」
「それはこっちの台詞。さっきから何か可笑しいよ?」
「可笑しい、かな」

訳のわからない、といったように首を傾げた男は考え込むような仕草をするが、思い当たる節はないらしい。
その様子がおかしくて、少女は笑う。

「さて、今日の夕飯はどうするの?」
「む……もう食材なかったっけ」
「うん。あ、でも私の夜食は決まってるけどね」
「夜食?」

再び首を傾げた男に、少女は囁く。

「その姿だと顔がよく見えるから、『味見』したくなっちゃうの」

男は無表情を貫いたまま、男は納得したように頷いた。
男の恥じらう様子を期待した少女はそれが外れて少々残念な気はしたが、約束を取り付けたことで少々ご機嫌になったようだった。

「ま、焦る必要もないし、ね」







翌日。
少女はベットの上でゴロゴロと転がりながら呻いていた。

「相変わらず、精力は吸えない……」

家の主は、もう既に起き上がって隣のリビングで本を読んでいる。
つまり今男の部屋に居るのは彼女一人。

「……取り戻せるかなぁ、感情」

そのままゴロゴロと転がっていると、勢いがつきすぎたのかベッドの縁から転げ落ちてしまう。

「いたた……ん?」

ふと、ベットの下に目を向けるとそこには一冊の本。
隠すように置かれていたそれを見て、少女は笑う。

「何だ、やっぱり男なんだねー」

そしてその本に手を伸ばし、日の下にそれを晒す。
現れたのは赤い革表紙の薄い冊子。

「って、アルバム?」

期待したものとは違ったけれども、それはそれで興味のあるものだった。
男は自分の過去のことを話すことをしなかったから。

「さて、どんなのが見れるかな……って」

広げたアルバム。
そこにあったのはたった一枚。
鎧に身を包んだ男女が写った、集合写真と思われるもの。
男七人女二人。
剣を持った男が四人、槍をもった男が一人、剣を持った女が一人、槍を持った女が二人。
そして、笑顔の彼ら八人に囲まれるようにして白髪の男が困ったように嬉しそうに笑いながら巨大な鈍器を杖のように持って立っている。
その顔は少女にとってどこか見覚えのあるものだったが、なかなか思い出せない。
だけど、この場にこれがあるという事、見覚えのある顔がその人間だけだったこと。
それが少女にその人物の正体を解らせる。

「……こんな風に、笑えたんだ」

呟いて、少女がそれを閉じようとしたとき。
ふと思い出す。
思い出してしまった。

『ただの人間が三の槍と五の剣に刺し貫かれて……生きれると思う?』

頭の中で、男の声が響く。

「え、何でこんな時にそんなことを思い出すの?」

少女はその意味を、その言葉とこの写真の意味を理解したくなかった。
結び付けたくなかった。
だから、彼女は男の元へと赴く。
その憶測を、否定してほしくて。

「ねぇ!」
「ん、どうしたの?」

椅子に座ったままの男は椅子ごと振りかえり、少女の手の中にあるものを見る。

「ああ、それか。それ落としてるんじゃなくてそこに置いておいたんだ、大事なものだったし」
「……一つ、聞かせて」

いつものように、無表情のまま返す男に。
少女は何か、すがるような目を向けて尋ねる。

「何?」
「三の槍と五の剣に貫かれたっていったよね?」
「うん」
「……それって、この人たちに刺されたってこと?」

少女が見せる写真。
それを見て男は。


「うん、そうだよ」


全く表情を変えず、どうとでもないように、なんでもないことのように。
さも当然というように、肯定した。

「どうして……! どうしてそんな相手が写っている写真が大事なの!?」
「僕の仲間だからね」
「だって、それじゃ、それじゃ……仲間に殺されかけたってことになるじゃない!」

叫ぶ。
残酷だと思った事実はさらに醜悪で。
せめてそれだけは否定したくて。
でも。

「そういうことになるね」
「……どうして、おかしい。何でそこで怒らないの!? 怒ってよ、泣いてよ、悲しんでよ! せめて私に向って怒ってよ! 勝手に人のものを読むなって! 勝手に人の過去を詮索するなって!」

何を言っているかわからなかった。
昔はそれに恐怖を感じていたが、少女が今感じているのは怒りだった。
男を刺した彼らに対するものもあったが、何よりそれは目の前の男に向けられていた。
その怒りが、どのようなものか解らなかったけれど。

「別に、隠していたつもりはなかったし。……それに、皆理由があったから」
「……でも、裏切られたんでしょ?」
「うん、確かに僕の信頼は裏切られたってことになるんだろうね。それでも僕にとっては仲間なんだ。……向こうがどう思ってるかじゃない、僕はそう思っているんだ。仕方のない、事だったし」

少女は言葉を失う。
無色の少年はどこまでも無色だった。
そのこと加え、彼は自らを省みることより他者を案じる人間だった。
だから、言葉を失った。
ここまでの人間が、どうしてこんな目に遭わなければならないのかと。

「じゃぁ、そのことで泣いた事はあるの?」
「無いね。もう、悲しいとか、そんなのも無くしてたし」

事実を淡々と述べるその口。
男がどこか無理しているように見えた少女は、それを自らの口で塞ぎ、男を抱き締める。

「むぐっ、一体何を……」
「わかんないよ! だけど……」
「僕は大丈夫。何も感じないから、悲しむ必要も泣く必要もないから……」
「駄目。この世界には楽しいこととかいっぱいあるんだよ? それを、この先ずっと感じれないなんて、駄目だよ。それだけ大変な目にあったんだよ? これからそれに見合う楽しみや喜びがないなんて、許さない。私が、許さない」

断言する少女。
神や運命がそれを許しても。
私はそれを許しはしないと。

「だから、泣いてよ。悲しみばかり詰め込んでるその体から、泣いて悲しみを絞り出してよ。大丈夫だなんて言っても、絶対に悲しくないはずないんだから……泣いて、悲しみとサヨナラしよう? そして空っぽになった体に、目一杯楽しさを詰め込もう? 喜びを詰め込もう?」

あやす様に、男の膝に乗った少女は男の頭を抱える。
肩に男の重さを感じながら、背中を優しく撫でる。

「僕は、悔しくはないし悲しくはないんだ。ああしないと、皆が死んでいたはずだから。仕方のないことだって解ってるんだ」
「……うん」
「だけど、なんでだろうね……今になって胸が、苦しいんだ」

頭が置かれた少女の左肩。
そこに濡れた感触を感じ、少女は頭を撫でる。
優しく、どこまでも優しく。
ずっと、撫で続けていた。

「……泣き疲れたみたいだね」

何時しか男は眠っていた。
椅子に座り、少女に抱きしめられた恰好のまま。
雫の跡を頬に残したまま。

「もう……」

その跡を優しく唇で拭い、少女はそのまま腕に力を入れて瞼を閉じる。
男の鼓動を子守唄に、いつしか彼女は眠りに落ちていた。