男はただ、日々を過ごしていた。
そこに意味を見出そうともせず、感情も込めず。
一人で、孤独に、生き続けていた。
真っ白な部屋で真っ白な服を着た真っ白な髪の男。
目が眩むような白の中で、少年の持つ肌すらも白く見える。

「ああ、今日も一日が終わる」

呟く。
椅子に座りただ窓の外を見る生活。
もう何日こうして過ごしたのだろうか。
男には解らない。

「……月が、綺麗、だ」

男は呟く。
それからしばらく、静寂の支配する空間に佇んで……。

「……」

無言で立ち、部屋を出る。
その様子を見ていたのは、窓から覗く満月だけだった。



丘の上、男は唯月を見上げる。
ただいるだけ。
感情を一切移さない瞳。
笑みを形作らない顔。
それが男の持つすべてで、見上げる月はそれらを照らし続けていた。

「……」

幾度目かの風が吹く。
男にはどうでもいいことであった。

「こんばんは、いい月ね?」

その、人有らざる声でさえも。

「……」
「あれ、無視?」

男は答えない。
ただ、月を見上げるだけ。
……かに思えたが、やっと気がついたようにその声のする方へと顔を向けた。
そこには13、4の少女。
桃色の髪と服が月に照らされる。
暗い緑の草原と相まって、それがとても目に入る。

「君は?」

かすれるような声、そんな声とは対照的に弾んだ声で答える。

「私は妖精。リャナンシー、って言って解る?」
「リャナン、シー……」

男は考える。
自分の頭の中にある知識を検索する。
その動作でさえ何時振りか男は思い出せずに、作業に没頭する。
そしてようやっと自分の求める情報を引き出すことに成功する。

「人を愛する、妖精」
「そういうこと、だからほら、ね?」

言うなり男に抱きつく少女。
その言葉と行動の意味を理解できた男は、ただ少女を見下ろす。
対して少女は上目づかいで男を見上げ、男を見つめ返す。

「……ごめん」
「え?」
「……僕は愛を受け入れられないんだ……悪いね」

男はそう言って少女を引き剥がし、家へと踵を返してしまう。
それを見送った少女は、拳を軽く握る。

「もう! ……いいわ、絶対に私を受け入れさせる!」

男は知らなかった。
リャナンシーというものは愛が受け入れられないとその相手に付きまというという事を。
そう、知らなかった。







朝が来る。
誰にも等しく、どれにも等しく。

「朝、か」

起きた男はそのまま朝食を作ろうと立ち上がる。
と、目の前に見知らぬ少女が居た。

「きみ、は……」
「あ、やっと起きたー!」

男が言葉を紡ぐ前に男に抱きつく少女。
勢い余って男は後ろのベッドに倒れこむ。
そのまま唇を奪おうと試みる少女を、手で押し止めて体を起こす。

「……何、何で君がここに?」
「むう、相変わらずつれない。リャナンシーっていうのはね、愛が受け入れられないとその相手に尽くすのよ。……愛が受け入れられる、その時まで」
「……難儀だね」

男は無表情に平坦な声でそう言って少女を押しのけ、部屋を出て行ってしまう。
真っ白な部屋に残ったのは一人の少女。

「誰のせいよー」

響くのは一つの音。
それは僅かな怒りと、途方に暮れた涙をもって響いていた。







最初は、おかしな奴だと思っていた。
白い服に白い髪、家を覗いてみればその大半を白い自室でぼうっと過ごす。
その癖、彼に宿る魂は強い輝きを放っているように見える。
それに惹かれた。
だから、こうして彼の前に居る。

「何、これ?」
「……飯」

彼の後について、彼の自室を出た少女は見る。
テーブルの上に置かれているトーストとハムを。
しかもその量は今男が食しているそれよりも多い。

「何で? 私の愛が受け入れられないんでしょ? 迷惑なんでしょ?」
「……迷惑でも何でもないさ。ただ、申し訳なく思うだけだよ」
「え?」

彼の口から意外な言葉が飛び出した、と少女は思う。
今までの反応……無表情で淡々と言葉を紡ぐ彼の様子を見ていると迷惑だと思っているとしか思っていなかったから。

「僕は、君に応えることができない。……しないんじゃなくてね」

そう、少年が無表情で呟く。
その意味を理解することは少女にはできず、首を傾げるだけではあったが嫌われていないということは理解できた。

「でも君は僕に尽くすんだろう? だから、僕はそれを受け入れようと思って」
「なら……」
「でも、感情は受け入れられない。これが、今の僕にできる精一杯だ」

言って、食器を持ち立ち上がる男。
そのまま食器棚の前を通り、流し台に食器を置いて、少女が座っている席の真後ろにある自分の部屋のドアに手をかける。

「ああ、そうだ」

そしてそのままの姿勢で、少女の方を振り向くことはなく。
少女と男が背中合わせになったまま。

「右の部屋は空き部屋だから自由に使っていい。あとこの部屋の、君から見て右の部屋が風呂、その隣の扉がトイレ。自由に使ってくれて構わない。食べた食器は流しにおいてくれればいい」

言い残し、男が消え、ドアのしまる音が響く部屋。
少女は、一人誰もいなくなった部屋で溜息をつく。

「むう、なんで?」

自問自答。
手にもったトーストを齧りながら考えを巡らす。

「おかしい、私に興味をもった様子は全くなかったし……」

妖精の恋人、という名を持つリャナンシーにとって相手の感情をある程度推し測るというのは造作もなかった。
だけど、今の男からは一切それが感じられない。

「喜怒哀楽の単純なものなら少し……だけど複雑なのは駄目。全く反応がない……?」

そこまで考えて、トーストの最後の一切れとともにハムを嚥下する。
食器を片づけて、彼の消えて行った部屋の前に立つ。

「愛を知らない、ならば私が教えてあげなきゃ!」

気合いを入れ、ドアノブに手をかけてドアを開く。
少女の目に飛び込んできたのは、奥にある白いベッド、その上に見える外の景色が見える窓、そして中央に置かれた椅子とそれに座る男の後ろ姿。
殺風景、そんな言葉が可愛く思えてしまうほどにこの部屋には生気がなかった。
そんな中、普通の人が見れば威圧感を感じてしまいそうな部屋を通り男に背中からしなだれかかる少女。
その体勢のまま男の顔を覗き込む。

「ねぇ」
「……」
「ねぇったら!」
「……何?」

顔を向けずに反応する男。
相変わらずの無表情に流石に怒ったのか、少女は男の問いに答えずに手を男の下半身に伸ばす。
少女のような見た目ではあるが、これでも人の世を30年以上生きた愛の妖精。
男の扱いは心得ていた。

「……襲うか、僕を?」

だが、男のその一言に止まる。
この期に及んでも、その声は無色。
感情の色すら見えず、表情も又然り。

「別にかまわないけど、僕は動かなくていいかな? 生憎僕の体は弱くてね……激しい運動は避けた方がいいらしい」

淡々と事実を受け止めそれでいてなお。
怯えの色も無く、期待の色も無い。

「……ねぇ、どうして?」

手を止めた少女は、男に問う。
その声には僅か、脅えが含まれている。
今まで生きてきて、ここまで壊れている人間に出会ったことがない。
未知故の恐怖を少女は感じていた。

「どうして、って?」
「だからどうして、そんな風にするの!? 他の人なら私を見ただけでも……」
「ああ……恋に落ちる、んだろうね。でも、ごめん。僕にはそれができないんだ」
「どういう、こと?」
「……わかった。君が納得できそうもないし、話すよ」

と、ここで男は言葉を止める。
そして少女の目をはじめて見て、言葉を再び動き出させる。

「で、流石に『コレ』はしまっていいよね?」

男が自分の下半身を指さし言った言葉に、少女は苦笑を洩らす他なかった。







「そうだね、簡単に言うと僕のこれは後遺症でね」
「後遺症?」
「うん……君は、ただの人間が三の槍と五の剣に刺し貫かれて……生きれると思う?」

男の語る言葉の意味が理解できず少女は一瞬固まる。
が、直に男の言いたいことが理解できて、震える声で答えを返す。

「嘘……ありえない」

人間の脆さは理解していた。
男が語った傷はどう見ても致命傷。
そしてその問いを最初に持ってきた、ということは。

「だね。でも生きていた。それが僕」

相変わらず無表情で、淡々と語る男。
少女にも理解できている、それが男の身に起こったことだと。

「見てみる? 多分見て面白いものじゃないけど」

言って上に着ている着衣を脱ぐ男。
少女の目に映るのは、大きな傷跡が幾つもある細くも白い躯。
逆光に照らされたそれは、少女の目には色香を纏っているように見え、気がついたら手を伸ばして触れていた。

「痛く、無いの?」
「治っているからね。それに君こそ嫌だとは思わない?」
「思わない」

傷跡にそっと触れる細い指。
いたわるように、慈しむように。
それは男の体の上を躍る。

「……それで、どうしてそうなったの?」
「それはどちらにも取れるけどね。僕は戦って、一回死んだ。こうして生きているのが不思議なぐらいらしい、だから……代償もあった」

相変わらずの声で続ける男。
少女は手を男の背に回し、背にある傷を撫でる。

「今の僕は、喜怒哀楽の単純な感情程度なら……僅かだけど感じるみたいだけど、それ以外の感情は感じることができないんだ。だから、君の愛を受け入れるのはできないんだ。僕は、誰も愛せない」
「……」
「だから、僕の命が尽きるまで。もしくは次の人を見つけるまで、ここに居させてあげることしか僕にはできないんだ」

響く言葉。
軽々しく自分の命が尽きるまで、と言ったわけではないのは解る。
事実、彼は一度死を見てきた、それだけ死の重みも知っているはず。
だからこそ、少女はその言葉を確りと受け止め。

「……わかった」
「そうか」
「だけど、私は教えるよ。喜びを、楽しみを、恋を……愛を」

少女は決意した。
この男をもう一度生き返らせると。
失った感情を取り戻させると。
何故ならば彼女はリャナンシー『妖精の恋人』にして愛と才能を与える妖精。
その名の下、こんな男を放って置くということは許せなかった。

「僕は、応えられないかもしれない」
「それでもいいよ? だって、私はリャナンシー。受け入れられるまで尽くすのが私だから」

少女は腕に力を込めて男の体を引き寄せる。
男は着ていたものを片手に握ったまま、椅子から引きずり出されて膝をついた姿勢のままに無抵抗に抱かれる。
そして少女はそのまま男をベットに押し運び、倒す。

「……やっぱり、襲うのかな?」
「ううん、これは私なりの愛の教え方だよ」

少女に押し倒された男はただ無表情で問い。
男を押し倒した少女は無邪気にそれでいて妖艶に笑う。
しばらく男を見つめた少女はゆっくりと、見せつけるように唇を男のそれに寄せる。
そのまま窓から指す光に照らされた影は、一つの影へと重なっていった。







「……人形を相手しているみたいでつまらなかった。精力も吸えなかったし」
「ごめん」

男は少女の言いがかりにも近い文句に律儀に謝る。
が、これは男に否があるとは言い切れない。
精気を吸うには、対象が自分の愛を受け入れる、愛していることが条件となる。
それを、少女はわかっていたのだから。


「謝られるのも釈然としないー」

うー、と唸って湯の中に顔を埋める少女。
口から空気が漏れて、水面に浮上、ぶくぶくと気泡の弾ける音を響かせる。
今、二人は風呂場で二人して湯船に身を沈めている。
一人で使うには広すぎる湯船も、二人が少し体を離して浸かるならばちょうどいい大きさだった。
ふと、少女は視線を男の方に向ける。
湯の上から覗く白い細い肩、うなじは伸ばされた髪で見えないがその髪は長く白く水面をたゆたう。
女のようにも思えてしまう体の線の細さ、けれど彼の持つ長身が男だという事を主張する。
何より、少女は彼が男だという事をその身を以て知っている。

「……髪、邪魔そうだね」

水面に揺れる髪の一房を手で掬い少女はぽつりと漏らす。
男の髪は後ろは腰にも届く程に長く、前は彼の目を覆い隠すほどに長い。
つまり、今まで彼は髪の隙間を縫って世界を見続けていたことになる

「そうかな。僕は特別不便だと思わないんだけど」

聞かれたから答えた。
そのようにも聞こえる無感動な声音にため息をついて、少女は苦笑する。

「乾かすのにも大変でしょ? 全く、無頓着というか……仕方ないのかもしれないけど」
「……勝手に乾くよ」
「呆れた。無頓着というよりずぼらって言った方がいい気がしてくるよ」

色付く声音と無色の声音のやり取り。
響く空間に二人。
僅かな静寂。

「誰も、居なかったんだね」

それは少女が男にする確認。
男の髪の毛を気にする人間も。
男に食事を作る人間も。
誰も居なかったという事実の確認。

「うん、ここには……数年前から僕しかいない」

孤独を示す事実。
それを淡々と肯定する男。
そこには寂しさや悲しみを感じることができず少女は手の中にある白髪に目を落とす。

「……ねぇ、感情。取り戻したい?」

少女の口から洩れるのは疑問。
もしかしたら男が自分に合わせているだけなのかもしれない、そう思った故につい口をついて出た。
それに男が感情を取り戻すということは、悲しみや寂しさといった負の感情を感じるようになるということ。
だから、少女は男に問いた。

「どうだろうね、感情を取り戻せばどうなるか僕にはわからないし」
「……」
「僕も好きで失ったわけじゃないから、取り戻せるのは嬉しいと思えるのかもしれない。でも、この答えを出すのは難しいね、今の僕じゃ。あの頃を思い出してもどこか他人を見ている感覚だからね」
「そう……」

悲しげに響いた少女の声。
その視線は相変わらず手の中にある男の髪。
そして水に映る自分の顔。

「でも……」

だがその顔も響いた男の言葉によって男の顔に向けられる。

「君の想いに。どんな形であれ応えられるのならいいと思うよ」

相変わらずの無表情。
相変わらずの色のない声。
それでも、意志を示したその言葉。
少女は決意を再び固める。
そして思う。
男の笑顔を、一度でいいから見てみたい、と。
その時こそ、少女が目の前の男に勝ったという証が立てられるから。

「わかった。なら私も頑張るから。……覚悟、しててよね?」
「何を覚悟しないといけないのかよく解らないけど……。善処はするよ」

湯船から上がる男。
それに引き続いて少女が上がり、男の後についていく。
が、脱衣所で二人とも崩れ落ちることになる。

「……頭が、揺れる」
「気持ち悪いー……」

俗に言う湯あたり。
互いに話をしていた為に自然と長湯になったらしい。
何とか体を拭いて服を着れたものの、立ち上がることはできず。
結局二人が動けるようになったのは二十分後だった。







「湯あたりしたのなんて初めてだよ」
「ごめん」
「……なんだかすごく覚えのある話の流れだね」

少女は笑い、手にもったカップに口をつける。
中で揺れるのはココア。
男が少女にふるまったものではあるが、その動作は中々に手慣れていた。

「ん、おいし」
「そう、よかった」
「……そんな顔で言われても全然そんな気がしない」

むうと唸って、テーブル挟んだ向かい側に座っている男の顔を両手でつかみ無理矢理笑顔を作らせる少女。
特に抵抗しない男はそのままされるがままに。

「……可愛くない」
「ぼひゅにかわいひゃをもほめるほうがおふぁしいふぃふぁふる」

構わず喋る男に悪戯な笑みを浮かべて少女は顔をこねくり回す。
結局少女が男の顔を解放したのはココアから上る湯気がすっかりなくなった頃。

「んふふー、面白かった」
「人の顔散々弄ってその感想はないと思うよ」
「そういう言葉は無表情で言われるとちょっと怖いね」

言葉ではそういいつつも笑う少女は、冷めたココアを一口飲むと、僅かに表情を引き締める。

「でね、思ったんだけどやっぱりこういうのって誰かとコミュニケーションをとって感情を抱こうとしてみるってことが重要だと思うの」
「コミュニケーション?」
「たとえば、喜ぼうとしたり、楽しもうとしたり、それを繰り返せば段々と感情も表に出てきやすくなるんじゃないかなって」

詰まる所、感情の動きに慣れさせる。
今の状態を道が落石で防がれてる状態だとするなら、無理矢理石を押し退けていくということ。
通る人が一人ならば押しきれないだろうけれども、それが増えて百や二百になれば……。

「まぁ、感情だから、そう上手くいくかどうかはわからないけど。私もそういうのの専門家じゃないし」
「……それでも、何もしないよりはましだよ。で、何をすればいいの?」
「何も、ただ私が色々やるだけー」

からからと笑う少女に対して、首をかしげる男。
しばらくして、男は頷く。

「なるほど、君が僕に何かをして感情を呼び起こさせる、ってことだね?」
「そういうこと。だから本当、これから私が四六時中居るからね? 迷惑だって言うなら今のうち……」
「大丈夫」

少女の言葉を遮り、男が口を開く。

「君と過ごすことは、きっと楽しいことだと思うから。きっと、迷惑だとは思わないし、思えないよ」

そして男はココアを一口飲み。

「……ちょっと甘すぎたかな」

ぽつりと、そんなことを呟いた。